
幾度となく書いております。
みんな、愛であれ。
自分の中にある受け入れがたいものを、勇気を持って受け入れて下さい。
どんな惨めな自分も。
どんな残忍な自分も。
どんな卑劣な自分も。
どんな卑怯な自分も。
人は、人から見て良いとされる部分と、悪いとされる部分を併せ持っているものです。
一方だけでは成り立たないのです。
すでに、自分の中に「ある」ものを、排除することは出来ないのです。
でも、今までそれを「ない」として蓋をしてきました。
そんな自分を認めたくないからね。
でも、どんな自分も自分なのです。
全ての自分を、お相手は曝け出すように促していると思いますよ。
自分の中にあるものを、受け入れる。
例え、それが自分にとって受け入れがたいことであっても、あるのであれば受け入れるしか道はないのです。
ネガティブな事を手放すという事は、排除するという意味ではないのです。
受け入れる事で初めて、手放すことが出来るのです。
解放されるといった方がいいかな。
自分の中にある沢山の「ある」。
人は、その「ある」を受け入れ感じ手放すことを繰り返すことで、中庸でいられるのだと思います。
愛であれ
中庸であれ
人は愛にしか生きられないのですから
今日も読んで頂いてありがとうございます。
沢山の愛を、貴女に届け。