ツインという自己への愛の学び

 

こんばんは。

ここ釧路の地震による影響は、いまだに全面復旧とはいかずスーパーやコンビニでも、物資の状況は通常とは言えません。

そして今朝は、10度を切り日中も20度までいかず肌寒い一日となりました。

完全に野菜不足で、野菜ジュースを飲んでます。(笑)

それでも、食べ物があり寝る家がありお風呂に入ることが出来ることに、感謝しております。

被災地の状況は、ここ釧路からみると大変であることがわかります。

亡くなった方も多くいらっしゃり、また多くの方が避難所での生活を余儀なくされている事に、早く通常の生活が出来るようお祈り申し上げます。

 

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ツインレイとの関係は、大抵はお互いの間に何らかの壁があり、共に生活をする環境ではない状況があると思います。

その壁とは、色々なケースがあると思います。

お互い又はどちらかが既婚であったり、年齢差であったり、相手が有名だったり、格差だったりと・・・。

 

どのブログでも、これは言われていますが、その壁を愛で乗り越える必要があるからとあります。

 

その立ちはだかる大きな壁は、私が思うに「世間の常識」というものなのかなって思います。

 

どういう事かというと、私達は生まれてから親や学校で教育されて育ちます。

そこには、学業の他に道徳的な事や常識などもありますね。

 

おもに、「こういう事をしたらダメなんだよ」って事柄は、物凄くあります。

 

その「常識」という壁を乗り越えようと思った時、世間からの非難されるのではないかとか他人の目を意識します。

 

ずっと幼き頃より刷り込まれたものを、ぶち破る。

 

「魂」からの願いは、「頭」で「それはダメ」と理性という名で抑え込む。

 

その願いを受け入れるという事は、相手の環境を破壊しかねないし、自分もどんな目でみられるかという怖さもある。

 

ツインレイとは魂の片割れですからね。

その磁力は半端ない。(笑)

 

ツインレイの物語は、自己の物語。

自己の物語とは、潜在意識と顕在意識。

自分の中に、人間としての自分と魂としての自分が存在する。

人間の自分は、自分を守ろうとして様々な理性を働かせ守ろうとする。

いわゆる自我というものですが、それは本来の自分とは言えないものです。

ツインレイに出逢うと、そこのせめぎ合いになってしまう。

(自我が悪いものと捉える事ではないですよ。ツインとの統合する場合は乗り越える必要があるもの)

 

今まで、自分にダメとしてきたことを受け入れなさいと、ツインレイの相手は見せてくる。

 

ツインレイの愛とは、無償の愛・無条件の愛。

どんな自分をも受け入れ許す。

人と違っていても、人より何かが出来なくても、どんなに我儘でも、どんなにポンコツでも・・・。

自分という存在は、世界で唯一無二な存在です。

そんな自分のいいところだけでなく、嫌な部分も世間的に悪とされている部分もいっぱいあって自分です。

嫌な部分も世間的に悪とされている部分を認めないという事は、自分をまるごと認めていないという事。

無条件の愛とは言えないと思います。

 

その魂の願いを無条件で受け入れ許すことが自己への愛の完成になるのではないかと思います。

 

ツインレイとの統合は、自己の愛が完成した後のこと。

 

そのように思うんです。

 

ただ、これは私の見解であります。

読者様が、「えっ」と思ったり違和感があれば、採用しなくていいことだと思っております。

 

情報が氾濫している中で、自分に取り入れるチョイスは難しいものがあるかもしれませんが、これはご自身の心の羅針盤に委ね、判断してほしいなぁと思っております。