こんばんは。
この記事は、普通に書こうと思います。
(もはや普通がわからんが・・・(笑))
最近の、私が書く「魂の言葉」シリーズですが、主に「性」が多くなっております。
この記事↓
アフロディーテ降臨
でも書きましたが、その少し前あたりですかね。
「もしかして、私は性についてを書く事が必要なのかな」って思い始めていたんです。
女性にとって、「性」を題材にするのは正直勇気がいります。
外側に意識をもっていくと、書けません。
外側意識だと、「あのおばはん、どえらいスケベなおばはん」となるから(笑)
「性」は、私にとっても最大のブロックだった。
女である自分を全否定されたような言葉の呪縛があって、克服出来ないトラウマだったからね。
世の中、言う人はいると思います。
「あなたは言葉だけで、実際にはレイプされた人もいるしストーカーされた人もいるし、それに比べたら大したことじゃないよ」って、言うかもしれません。
それは、その人にとってはそうかもしれませんが、私にとっては屈辱だったのですよ。
どう感じるかは、他人が決める事ではありませんからね。
自分にとって傷ついたことをなかった事のように感じなくさせる。
生きていくために必要だった。
痛みをないものとして、我慢して生きていくのが、この世の当たり前だと思っていた。
ツインに出逢い様々な痛みを思い出し、感じて解放していく中で、私は最後まで克服出来なかった事。
それは「性」の事だった。
「性」というとてもデリケートな部分、親からどう教育されてきたかも影響する部分。
歴史や女性の集団意識もあるでしょう。
いやらしい、汚らわしいなどの奥底にある嫌悪感。
自分を否定した男性に対する恨み。
その自分の最も深い闇を、取り込む必要があった。
本当の私は、性に対してどう思っているのか。
出てきた答えは、好きという答え。(笑)
(この一言は、勇気がいる。しかも誰が読んでいるかわからないブログで(笑))
これ、認めたくなかった事。(笑)
それでも、片割れ(宇宙のツインレイも地球のツインレイも)を見たら、まぁ好きだわなって感じですね。(笑)
これを自分で受け止めることは、本当に「マジか~」という絶望感とあきらめの境地。
女性が自ら「性」に対して好きと言うことは、他人から見ればただのスケベに過ぎず、ヘタをすれば暴言共にヤバいレッテルを貼られる可能性もある。
でも、それでもいいかなって思えた。
女性が「性」に関して発信している人は、多くいらっしゃいます。
パートナーシップにおいて、性は外せませんからね。
ツインレイ関連のブログで、「性」をピンポイントで発信している方はいらっしゃいますが少ないですね。
それだけ「性」は、伝えづらい部分でもあるのかもしれません。
私は、綺麗な言葉で綴ることが出来ません。
(いや、やろうと思えばできなくもないけど、それだとエネルギーが半減するかな)
それでも、今のところ恐々発信していますね。
自分で躊躇してしまう事も多々あります。(ちょっと過激かなぁみたいな(笑))
自分の中の光も闇も取り込み、これが「私」と認め表現することが、私のやりたい事なのかなと思いました。
アフロディーテの降臨は、その思いを後押ししてくれたように感じます。
無条件の愛って、どんな自分も受け入れることが出来る器がないと受け入れられない。
自分で自分を否定していた事柄全て、受け入れる。
ツインにとって「性」は、外せない部分。
一昔前のツインの概念では、プラトニックが当たり前で統合する際に初めて結ばれるとなっております。
正直、古い概念ですね。
確かに、それはあったのかもしれません。
ケースバイケースですが、その概念を元に進むツインカップルもいらっしゃると思います。
愛する人を目の前にして、触れたくなるのは当然の事だと思います。
抱きたい、抱かれたいと思う事は、全然恥ずかしいことではないですし、やっと出逢えた半身です。
胸のコードで繋がってからエネルギーの交流は出来ますが、セックスはよりダイレクトにエネルギーの交流が出来るとても大切な事です。
その大切な「性」のことを、これからも私の言葉で発信していこうと思います。